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聖夜2012

 2012-12-24
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2012年の聖夜、八幡平山麓はビリッと冷えてはいますが雪はパヤパヤ程度です。我が家の「ぺセーブラ」(キリスト生誕図)はパラグァイのパロ・サントス(聖なる木)でできています。かつて、幼かった愛猫アンヘルが飼葉桶のキリスト(の赤ん坊)を玩んだようで探した挙句タンスの隙間での救出劇を、飾る度に思い出します。
アンサンブルのクリスマス 011
昨夜から三日間レストランアンサンブルで恒例のクリスマスディナーに出演、懐かしいお客様とお会いできて嬉しい集いです。アルパ演奏の後は真打「森川ともゆきとタンゴアンサンブルトリオ」の登場!(多賀谷真吾氏撮影:2005年)
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葦笛、ピンチ!

 2012-12-14
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花巻(東和)と遠野の境にある飛竜山に下見に行くと、登山道で巨大な赤松と会いました。隆々とした多くの枝を伸ばしておりました。昨日は八幡平リゾートスキー場の安全祈願祭に参列、神官の奏でる篠笛につい真剣に耳を傾けていました。淡々とした調べを聴きながら、頭の中ではクレッシェンド、ディミヌエンド、ビブラートなど「自分バージョン」が流れています。
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八幡平山麓もすっぽりと寒気の中、日中も道路が解けません。暖かい季節にはオオヨシキリがギョギョシ、ギョギョシと連呼していた近くの葦(ヨシ)原も今はひっそりとしています。今朝のTVで「篳篥(ひちりき)」の材料である淀川の葦原が、高速道路建設のために存続の危機に陥っていると報じていました。篳篥はオーボエと似たようなダブルリードで音を出すのですが、茎部分が緻密な葦でないと良く鳴らない、そのためには肥沃な中洲の広大な葦原が必要なのだそうです。また「たかが葦」と「利便性」が優先されていくのでしょうか。
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初めてアルパを奏でた日

 2012-12-04
パラグァイの12月は暑い季節、アルパを始めようと楽器を手に入れたのは25年前の今頃でした。クリスマスといえばサンタクロースとツリーと思いきや、南米では「キリスト生誕人形」が教会ばかりか家々に、街角に、それぞれ趣向を凝らして飾られます。この時期はパーティー開催も最盛期、アルパやギターの小楽団の稼ぎ時です。
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                            (盛岡、リアノカフェでのミニコンサート:多賀谷真吾氏撮影)
アルパを奏でるようになって、実に多くの人々と出会うことができました。一昨日も、宮城の登山ツアーのゲストの皆様との納会行事でアルパをお聴きいただきました。山を愛する方々の心に届くようにと、気持ちを込めながら弦を震わせました。
本日の八幡平山麓はザーザーと音を立てて雨が降っています。外に一歩も出られないほど。早く雪になーれ!
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同じ節を奏でるツクツクボウシ達

 2012-08-28
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8月もあとわずかですが、相変わらずギラギラ太陽が照りつけている八幡平山麓です。稲穂が良く育ち、田の脇を通るとプーンとほの甘く香ばしいような匂いがしてきます。アブラゼミもまだ鳴いていますが真昼間はツクツクボウシが順番に定番の節を奏でています。ギーーッとグリッサンドで上がって2拍子のla,re,si--,la,re,si--とリピート、si--はかなりビブラート気味、リピートするごとにアッチェレランド(速度が増し)約10回、突然re,la,si--と音程が逆になり約3回後、si------,とビブラートしてデクレッシェンド、終了。他のバリエーションはあるのかしら。
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初夏の頃盛んに囀っていたオオヨシキリが暮らしたヨシの原っぱも、今はひっそりしています。ギョギョシ、ギョギョシ、ギョシギョシギョシとなんとも騒々しい音、『山野の鳥』のCDを聴いていて初めてオオヨシキリの囀りと知ったのでした。アオバトのオーーアオーアオーもCDから学びました。初めて耳にした時は誰かが笛かなんかを吹いているのかと。この山麓へもたまに立ち寄ってくれます。
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オオウバユリ、母を想う

 2012-07-24
晴れているうちにと午前中早めに走りに出ると、もうポツポツ降り出してきました。小雨の中ランニング続行、道の脇のオオウバユリが咲き出しました。花(娘)を美しく咲かせる頃には葉(母)は喰われたり枯れたりと老いの姿となることからこの名がついたのでしょう。なりふり構わず娘を一人前に育て上げる母親の執念を感じます。
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昨夜のNHKで吉田秀和氏の追悼番組を見ました。氏のご逝去を知った時、音楽芸術界、いや波乱万丈の海を漂流中の、我々日本に暮らす者の進路を照らす「灯台」の灯が消えたような喪失感を持ちました。
だいぶ前に他界した母は、氏の『音楽展望』の新聞記事をスクラップして大事にしていましたし、よく話題にもしていました。母が常々心がけていたことは「謙虚さ」「献身」「品性を保つ」「権威や多数派に屈しない」など。母が存命中はこの姿勢が娘として時に鬱陶しく感じられたのですが、いなくなった今、まさにこの価値観で生きようとしている自分の姿に驚いてしまうのです。
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